最近、毎日太陽が昇る頃に寝ている。完全に昼夜逆転。
昼過ぎに起きて、食事をして、さてなんかしようかと思うと、もう日が陰り始める。
そういう時に見る綺麗な夕日は、ぼくの気分をひどく落ち込ませる。
でも、綺麗な夕日は山小屋での朝を思い出す。
山小屋の朝は早かった。
シーズン中の早番は3時半起き。
眠い目を擦りながら、まだ暗いうちに厨房に行き、8Lの特大炊飯器のスイッチを入れ、お茶の湯を沸かす。
食堂の机を拭いて、食器を並べて、朝食用のプレートの用意を始める。
炊飯器やガス台の熱で厨房が温まって来る頃、食堂の窓から朝日が昇り始める。
特に朝焼けが綺麗な日は、みんな手を止めて写真を撮ったりしていた。
日の色が赤く無くなる頃、気の早いお客さんが食堂を覗き込んで来る。
ごめんなさいと言いながら、まだ準備中の旨を伝える。
だいたいその頃にご飯が炊き上がって、釜からおひつにご飯を移し、味噌汁を寸胴からテーブル用の鍋に移し、それらとプレートを食堂に運ぶ。
並べ終わったところで1回目の食事のお客さんをテーブルに誘導。
ぼくが居た小屋は、食堂に最大54人しか入れないため、たいてい2,3回にわけて食事を提供していた。
4回の日もあっただろうか。もう忘れてしまった。
朝日に見惚れて時間になっても来ないお客さんがよく居たけれど、どうしていたんだっけ。
席についたお客さんには、今日の天気をお知らせする。
どんなに良い天気でも、そのぶんガス(霧のことを山の人は皆ガスと呼ぶ)の上がりが早いから、油断しないようにと注意喚起をする。
各回の食事の間隔は40分、洗い物をしながら次の食事の準備なので結構忙しい。
食事の提供が終わったら、息を付く間もあまりなく、今度は従業員のまかない作り、または布団干し。
たいてい早番(3~5人)のうち1~2人がまかないで、あとは布団に行っていたと思う。
ぼくは料理の経験が極端に少なかったので、早番のときはなるべくまかない作りをしていたように思う。
早番をすると朝から一仕事終えているので、しっかりした物が食べたくて炒め物を作ったことがあった。
少し年配のスタッフが、全く箸を付けず、漬物だけ食べていたのが、叱られることよりも堪えたことを覚えている。
みんなのことを考慮して、あっさりしたものや、少し食べ応えのあるものを何種類か作ったりするようにしたら、だんだん楽しくなってきて、みんながおいしいって言ってくれるのが、嬉しくなっていった。
ぼくの父はコックで、よく修行時代にまかないをシェフに褒められるのが嬉しかったと言っていたが、当時聞き流していたその気持ちを少し感じられたように思えた。
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