2021年9月30日木曜日

また山小屋で働いた。(2018年8月~11月)

 

2018年8月頭から11中旬(閉山)まで、某アルプス(昨年とは違う)の玄関口の、小さな山小屋で働いてきた。
この小屋はたいへん歴史があり(一番古い山小屋だとか)、お客さんも親、さらにその親からの常連だったりする。

今年は山小屋には行かず、しっかり研究をするつもりだった。
そう、しっかりと腰を据えて研究をするつもりだった。
しかし、どうにもうまく進まず、というかうまく集中できなかった。
昨年の小屋閉め以来気分は下がりっぱなし、思い出すのは楽しかった小屋での暮らしばかり。
一体自分はどうなってしまうんだ、同期、先輩、後輩は次々と成果を上げ、自分は山小屋で1シーズン働いて何かを成し遂げたような気分になっているが実際はどうだ、ただちょっとばかし厳しい環境に半年居ただけじゃないか、散らかしっぱなしの研究は殆ど進んで居ないじゃないか、修論はいつ投稿するんだ。
という悶々とした思考の中で自分の首を自分の言葉で締め上げていた。



☀☀☀

6月中旬頃の出来事。
その日は仙台に集中講義を聞きに行っていたところで、いつものように適当にGoogleマップで見つけたゲストハウスに泊まっていた。
食費を浮かせるために自炊をするべく、食材を買っているところで、昨年の小屋で一緒に働いていたオネイサンから連絡が来た。

「最近どうしてますか~?私はいま○○の小屋で働いています。人手不足で一緒に働いてくれる人を探しているのですが、もし条件が合えば如何かと思って連絡しました。拘束時間も少なめで、休暇の融通も利くし、東京へのアクセスも良いですよ。」

だいたいこんな感じ。
正直最初に思ったことは、「こちとらそれどころじゃねんじゃ。」だったが、ぼくの返信はこうだった。

「お久しぶりです!最近は研究が進まなくて鬱病になりました!」

カマッテチャンかよ。
結局彼女の文面から伝わってくる小屋での暮らしに惹かれ、検討しますと返事を送っていた。

☀☀☀
 
山小屋の形態は、大別して二種類ある。
稜線の小屋と、麓の小屋である。いや、これは本当。ぼくが勝手に言っているわけではない。
前者の稜線小屋はぼくが去年行っていた小屋。
営業は宿泊がメインとなり、大抵の小屋が早番遅番に分けており、早番はピークの頃は3時起きだったりする。
そのかわり昼は暇、かなり長時間の休憩が貰える。
しかしそれは嵐の前の静けさ。
受付では14~15時ごろからお客さんが徐々に到着し始め、16時頃には小屋の外に並ぶほどのラッシュになる。
その頃厨房は夕食提供という戦争に向け必死に仕込み。
夕方になっても受付は止まらず、さらに小屋の中では先についたお客さんへ夕食の提供が始まる。
そこから数時間記憶が飛び、気がつくと憔悴したスタッフの夕食の時間となる。
食後もさらに遅番は弁当作り(200個とかもあった気がする)、運の悪い日は日を跨ぎそうなときもあった。
とはいえ、ここまで忙しい日は連休くらいなのだが。

そして後者の麓の小屋が今年行った小屋。
営業は昼の食事の提供がメインとなる。場所によっては宿泊が無い小屋もある。
今年行ったところは観光地化が凄まじく、観光客と登山客の比は3:1くらいだったように思う。
宿泊のお客さんが居る日は6時くらいに始業、朝食を提供する。
ぼくが居た小屋は8時半に食堂の営業を開始していた。
朝は平和で良いのだが、11時半頃から意味不明なくらいお客さんが現れ始め、そこから数時間は白目を剥きながら必死の営業。
客足が弱まってきた頃、宿泊のお客さんの受付を並行して進ませ、16時半に食堂の営業終了、ゲッソリ。
そこから宿泊の方へ食事の提供をし、片付けをして18時ごろにホントの終業。
休憩時間は、朝か夕方の暇な時間帯に2時間ほど貰っていた。

どちらのほうが忙しいというのも無く、どちらも同じくらい忙しいと思う。

稜線はやはり毎日が絶景で、これは何物にも代えがたい贅沢なのだが、雨が振らなければ水不足になり、逆に悪天候が続けばヘリが飛ばず、下山もできず、小屋に缶詰にされながら缶詰を貪る日々となる。

一方麓の小屋は水や食品、電気などに困ることはまず無く、生活は安定している。しかし絶景を拝みに行くには登山をしなければならないし、稜線とは違って虫も居るから夏場は強烈な虫刺されなどに悩まされたりする。

結局どちらを選ぶかは、その人の好みになってくる。
いやでもよく考えると、大抵の人はどちらも選ばないのだろう…

☀☀☀

結局何度かオネイサンとやり取りをしたあと、小屋に直接連絡をし、大学に行くために月に2度ほど下山することも許可してもらえたので、8月から働かせて貰うことになった。

実はぼくは、今回行った山域は一度も登山したことがなく、どんな場所なのか全く知らなかった。
直前まで忙しなく用事があり、気がつけば上山当日。最早どんな心境であったかあまり覚えていないが、夜行バスに乗って、ぼくはそこへ到着した。

働いてみて思ったことは、「話が違うじゃないか!」ということ。
なんの話かというと、昨年の小屋に比べれば仕事は楽チン、などと聞いていた(恨んでいるわけではない)のだが、来てみれば夏山シーズンピーク、仕事も何もわからないままものすごく忙しいところに投げ込まれた形になっており、毎日何もする時間が無いくらい忙しかった。(断じて恨んでいるわけではない。そもそも初年度の人の話を鵜呑みにする方がおかしい。)
さらに、そのオネイサンはちょっといろいろありぼくが来て1ヶ月もしないうちに退職するとのこと。
なるほど、などと思ったが皆まで言うつもりは無い。

そこからなんやかんやあり、結局ぼくは小屋閉めまで働いたわけだが、以下には、今年の小屋で感じたことを幾つか書いていきたいと思う。

☀☀☀


ぼくはこれまで、少なくとも大学に入ってからは、人との関わりをかなりなおざりにしてきたように思っている。
特に学部に入ったばかりの頃は、色々とこじらせており(今もこじらせているが)、人当たりがかなり悪かったように思う。
同い年どころか、年上の人にまでさん呼びされるくらい、人との距離を取っていた。

住み込みの仕事は、朝から晩まで同じ人達と同じ空間に居ることになるので、他の人の良いところも悪いところも沢山知ることになる。
特に今年居た小屋は、早番遅番も無く、殆ど全員同じようなリズムで生活していた上に、小屋自体の規模がずっと小さかったので、かなり人間関係の濃い環境だった。

そのせいなのか、いざこざもあり、途中で辞めていったスタッフも居た。
ぼくは人と喧嘩をするほど仲良くなった経験が殆ど無いため、なんだかそんな出来事も新鮮だった。



この記事を最後に書いたとき、ここで筆が止まっていた。
正直、このあとなにを書こうとしていたのか全く覚えていない。
ではなぜまた書き始めているのかというと、昨年(2010年)の10月に再びこの小屋へ行ったときのことを、忘れないうちに書いておこうと思ったからだ。

博士課程4年目というなんとも言い難い立場にいたぼくは、再び現実逃避のため、知人のつてでシェアハウスに格安(光熱費込みで月額3万)で住まわせて貰っていた。

そんなある日、この小屋で当時一緒に働いていた、母とほぼ同い年の女性スタッフから連絡が来た。

今年も毎年やっている小屋の内輪のお祭りをやるから、来ないかとのこと。ちょうど下山しているから行けるなら車で連れて行くよ、とのこと。

まあちょっとくらい息抜きに良いか、などと思いホイホイついて行った。

が、思いの外居心地がよく、結局2週間ほど居座ってしまった。

居候の身であったため、早起きする必要もなく、適当な時間に起き、休憩室のめぞん一刻を読み、スタッフを茶化し、時々仕事を手伝ったり、まかないを作ったりした。

久しぶりに会うひと、初めて合うひと、色々だったが、皆良くしてくれた。

今年も、いつでも来てくれと連絡が来ている。

当時一緒に働いていたスタッフもいつまで働いているかわからない。そもそも、この小屋もいつまであるかわからない。

この小屋でも色んな大変なことがあった。

だが、これほど安らぐ場所が得られた思うと、悪くなかったと思えた。

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