2024年6月23日日曜日

友達とルームシェアを始めて1年ほど経った

およそ1年半ほど前、ぼくはプライベートがかなりしんどい状況にあり、自分がやりたかったこと、しなければいけないこと、自分が好きな音楽、好きな漫画、楽しいと思うこと、とにかく自分を構成する様々なものが崩れて、何がなんだかよくわからなくなっていた。


そんな折、久しぶりに連絡を取った友人(T君)が居た。

前回の記事(3年くらい前…)の最後に書いた、久しぶりに昔働いた山小屋へ訪問した際にできた友人で、同性で歳は4つ下。 

大学は芸術系に通っていて、当時は版画専攻だったとか。

数学専攻のぼくとはだいぶ遠い世界の人間だけれど、始めて会った日に一緒に温泉に行くくらい仲良くなっていた。

しばらく連絡を取っていない間、T君は地元を離れ、色々あって東京で会社勤めをしていたけれど、オフィスワークと相性が悪すぎで心底参っていた状態だった。


少し連絡を重ね、年末年始(2022->2023)にT君はぼくの家に遊びに来ることになった。

夜中に着いたT君を駅で拾い、初日の出を見るためにほとんど寝ずに近所の山を登り、12万円で買った今にも壊れそうな車で雪の峠道を越えて隣の県へ行ったりした。 

この頃のぼくたちは、どうにでもなってしまえという自滅的な行動心理から、逆に何でもできるような気がしていた。

 

それから1か月ほど経ち、T君は休職し、ぼくはT君との交流で徐々に自分を取り戻しつつあった。

そろそろぼくの家が更新のタイミングだったので、せっかくだから気を取り直すために引っ越そうかと考えているタイミングで、現在住んでいる家を見つけた。

ぼくの職場までは車で40~50分程度、県内一番大きな山の麓まで20分程度、家の周りはほとんど民家は無く、畑と小さな山に囲まれていたこの家は、部屋の数も多く、キッチンも十分な広さがあり、家賃も非常に安かった。

不動産屋に問い合わせてみると、問い合わせが多く、内見は順番待ちとのこと。

ぼくたちはここの契約が取れたら一緒にルームシェア、だめだったらお互い別の場所で頑張ると決めた。

結局内見の案内が来て、見に行くと思った通りの物件で、即決だった。

 

そこからはもうやるだけとなり、ぼくは父とT君の力を借りて、レンタカーの軽トラで自力で引っ越し。

T君は退職し、奇跡的に引越し先で仕事(農業関係)を見つけ、2ヶ月後くらいに東京を引き払って移住。

こういった経緯で現在の生活がはじまった。


インターネットで「ルームシェア 注意点」みたいに調べて出てくることといえば

・金銭感覚の差
・家事の分担
・消耗品の買物

などの公平さに関する事項が多かった。

幸いぼくたちは家事において得意なことが完全に分離しており(ぼくは料理が得意だけれど掃除は苦手で、T君はその逆)、さらにお金の使い方も似ていたため、かなりストレスが少なく生活できている。(同居人の選び方として重要な要素のような気がする。)


急に身の上話をすると、ぼくは東京育ちの一人っ子で、父は遅くまで働いていたため、子供の頃は殆ど母と過ごしていた。

親戚が家に来ることは殆ど無く、母は変わり者で友人もかなり少なかったため、本当に小さい頃は母しか話し相手が居ないような状態だった。

また東京という土地柄、近所付き合いも長続きせず、家に誰かが来るということは稀で、家族同然の仲の人というのは殆ど居なかった。

そういったことからか、朝ドラのちゅらさんに出てきた「一風館」の共同生活や、たまこまーけっとの「うさぎ山商店街」の家族のような商店街などは、ぼくの中で非常に強い憧れとなっていた。

山小屋での共同生活は、そういった憧れから興味を持ったことは間違いなく、実際そういった生活を送ることはぼくにとってかけがえのない経験となった。

 

何が言いたかったかというと、ぼくは今回のルームシェアする家は、様々な人が頻繁に訪れるような、ややオープンな雰囲気にしたいと考えていた。

T君はその考えには非常に前向きで、実際、彼の友達は男女問わず泊まりに来てくれた。(今の家はT君の地元から高速で1時間程度なので来やすい。)

ぼくは友達が近所にあまり居ないので、出張に来た後輩や共同研究者が泊まりに来てくれたくらいだった。

それでも、ぼくの子供の頃の憧れの生活には非常に近く、とても楽しく暮らしてこれた。


それから、ぼくは子供の頃から田舎暮らしというものに強い憧れを持っていた。

父の実家は割と田舎にあり、子供の頃はそこへ行くのがとても楽しみだったことを覚えている。

T君もそういった暮らしや古いものがとても好きで、それで山小屋へ働きに行ったという経緯があったらしい。

ぼくたちは今の家に、ちょっと変わった、古い食器や、家具、レコード、服などを、リサイクルショップに行って集めている。

田舎暮らしといえば自給自足という浅はかな考えから、家の前にあった畑を使って家庭菜園もやってみていて、去年はミニトマト、なす、ピーマン、セロリ、すいか、メロン、オクラ、落花生、里芋、人参を育ててみた。

(今年はなかなか時間が取れなくて、今のところ人参とビーツのみ育てている。 )

また昨年の年始に古本屋でたまたま買った「罠ガール」という漫画を読んで、絶対に狩猟免許を取ると二人で決め、ぼくだけ取得した。(T君はスケジュール管理に失敗して断念。)

そして奇跡的に今年の初旬にイノシシを捕獲した。

目を隠すことが配慮と聞いたので…

(はじめてT君と会ったとき、温泉へ行く道中で狩猟免許を取りたいといった話をしていたことを思い出すと、非常に感慨深い。)

 

田舎暮らしは大変だよ、というのはよく耳にする言葉だけれど、今のところ不自由を感じたことは一度もない。

これはコミュニケーション能力の高いT君の功績が大きく、越してきたばかりのころ、近所の人に積極的に話しかけ、人脈を広げておいてくれたことで、困ったことがあると聞く相手というのができていることが強いアドバンテージになっている。

実際、イノシシの捕獲については、住んでいる地区の集会に参加したときに、近所のイノシシに荒らされているポイントを教えてもらい、農林課の課長にコツを習い、すぐに罠を踏ませることに成功した。(残念ながら一回目は罠の安全装置を外し忘れて逃げられていたのだけれど…)

 

今の場所は、お互いの趣味(ぼくは自転車、T君は釣り)がたくさんできそうというのもあって選んだのだけれど、結局自分の仕事と田舎暮らしの満喫や、友人のもてなしで時間は過ぎ、これらの一人遊び趣味はあまりできていない。

しかしこれは今の生活の充実度を表しているようにも感じられ、特に不満は感じていない。


ぼくもT君も、今の仕事には任期があるため、この生活は期限付きだけれど、遠い将来この生活を何度も思い出すことになるだろうと思いながら生活している。

今の生活の話を人にすると、引っ越してしまうのが勿体ないねとよく言われる。

確かにこれまで築いたものを手放すのは勿体無い気もするけれど、ぼくたちにはこの生活が終わった後の計画もある。

お互いの連絡先をスマホから消して、文通をしようと決めているのだ。

もし海外に滞在することになったらエアメールになる。

この時代にエアメール、こんなに不便なことはない。

しかし、不便なものがどうも好きなぼくたちには、これが楽しみで仕方がないのだ。

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