ぼくは良くゲストハウスに泊まる。
プライベートでも、出張でもよく泊まる。
学生の頃、野宿しながら自転車ツーリングしていたときも、時々ゲストハウス(他にもライダーハウス、ユースホステルなどの安価で旅人用の宿)に泊まった。
良く出張でゲストハウスに泊まっていると、どうしてそういうところに泊まるのかと聞かれることがあるけれど、答えは単純にこういうところが好きだから、というのに尽きるように思う。
今思うと、学生の頃にこういった宿によく泊まっていたのは、単純にお金が無いからだったように思う。
ビジネスホテルは、ネットから予約できるところだと安くても素泊まり5000円くらいはする ことが多く、1ヶ月近く旅をしているような状況では、学生のお財布事情ではとても毎日利用するのは不可能だった。
ぼくがはじめて旅人用の雑魚寝宿を使ったのは高校一年生の夏休みだった。
当時のぼくは、高校の入学祝いで両親に半額出してもらって、はじめてのロードバイクを手に入れ、毎日あちこちを走り回っていた。
ロードはピナレロのFP1、白黒のアルミフレームにカーボンバック、細身なフォルムがかっこいいと思った。
現在では街乗り用シングルスピードとして、実家に居るときに足として乗る感じ。 |
自転車で遠くへ行くことにハマっていたぼくは、自分はこの自転車でどこまで行けるんだろうかという好奇心を抑えられず、夏休みに東京から日光まで行く計画を立てた。
途中は群馬の親戚の家に一泊し、計2日で日光まで行くというなかなかの強行スケジュールだったが、結局3泊4日で自宅まで自転車で戻ってこれたので、当時のぼくは大したものだと自分でも思う。
120キロほどの道中を越え、群馬の親戚の家へもうすぐ着くと連絡を居れておいたら、炎天下の中、叔母が心配して家の前でずっと立って待っていてくれた。
翌日は叔母に片手じゃ持てないような大きさのおにぎりを作ってもらって、足尾経由で日光へ向かった。
長い長い登り坂を、何度かおにぎりを頬張って休憩しながら登った。
小さなシャクトリムシがよじよじガードレールを登っている姿をぼーっと眺めたことを、なぜかよく覚えている。
なんとか到着した日光で宿泊したのが「日光大谷川ユースホステル」。
大谷川が眼前に広がる絶壁に入口がある変わった建物のそこには、色々なところから来た若者、おじさん、年配御夫婦、外国人など、様々な人たちが居た。
当時自分の世界と言えば学校と両親とその周辺だけだったぼくにとっては、誰との会話も非常に新鮮だったと思うけれど、そういう感慨すら無いくらい疲れていて、安心していたと思う。
その日の夕飯は確か宿で頂いたはずなのだけど、確かユースホステルの奥さんに頼まれて、宿泊していた外国人をガストへ連れて行って食事方法を案内したのだった思う。
そして確かこれを実際に頼まれていたのは1人で泊まっていたお姉さんで、ぼくは確か誘われてついて行ったように思う。
お姉さんと言っても、今のぼくからしたら遥かに年下なのだろうけれど、当時のぼくにはとても大人なお姉さんに見えたし、はじめて知り合った女性との会話というだけでとてもドギマギしていたことを覚えている。これを書いている今でもちょっと緊張してきた。今どうしているんだろう、もう一度会って話してみたいけれど、話す話題も無いだろうし、当時の会話なんか当然覚えていないし、お姉さんはぼくのことを覚えているわけも無い!
と、15年以上も前のことなのに突然長文を書いてしまうほど、はじめてのユースホステルでの宿泊はぼくの中では強烈な印象として、記憶に深く刻まれた。
確か高2の夏も行ったのだけれど、受験のため高3のときは行かず、大学生になって再びツーリングを再開し、宿泊の予約をしようと電話をすると、このユースホステルは閉館してしまっていた。
ぼくの好きなあの場所はもう無いのか、そんな喪失感を今でも覚えている。
現在のぼくの、昔のものが好きだったり、もう手に入らないものに憧れる傾向は、この経験に少なからず由来していることに、今回この記事を書いてはじめて気がついた。
上述のように、ゲストハウスなどの宿泊施設では、普通に暮らしていたら絶対に知り合えないような人種の人と突然知り合い、色々な会話ができる。
そしてどういうわけか、必ずその人種の中でも、特に変わり者という感じの人が居て、その人はその宿の常連だったりする。
ぼくはそういう人と会話をするのが好きで、なんとなく彼らに憧れのようなものを抱いていた。
当時のぼくの自分の居場所というと、実家、学校の教室、塾といった、自分の意思からは独立した力によって与えられた場所が大半で、自力で訪れた場所を自分の居場所にしている彼らは非常に大人に見えた。
居酒屋にマイボトルを置くような常連というのも、(ぼくはお酒があまり飲めないこともあり)未だに憧れている。
こういった憧憬は、前回の記事にも繋がっている気がする。
また一方で、はじめて会った人に、自分が何者であるか言える人や、そうでなくてもその場の会話を楽しくすることができる人、多くの経験から会話の引き出しが多い人たちのことは、本当にすごいといつも感じていた。
現在ぼくは、少なくとも一箇所、頻繁に行くゲストハウスがある。
そこのオーナーは非常に変わった人で、どのくらい変わった人かと言うと、フランスに旅行へ行った際、街に落ちていた様々なゴミをノートに貼り付けたものを唯一のお土産として帰国するような人である。
学生の頃から何度か訪れているここは、昔働いていたスタッフや、近所のカフェオーナー、常連の宿泊客などが夜になると現れて、行くとどこかのタイミングで必ず顔なじみと会話ができる。
前回話題に上った映画を観てきたから、その感想を一緒に話したり、別の常連さんの自主制作映画鑑賞会をしたり、みんなでご飯を作ったり、行く度に何かしらがある。
そう、ぼくもいつの間にか、憧れていた自力で居場所を作ることに成功していたのだ。
ゲストハウスで作ったたこ焼き。 |
知り合いが1人も居ない土地へ行くことは、どんな人にも多少はストレスが掛かることだと思う。
全国色々な場所に、少しでも居心地の良い場所があったら、そこへ行くときの精神的摩擦が減るし、日常に疲れていたらプライベートで良い息抜きになるのではないか。
そんなことを時々夢見たりするのだけど、なかなか他の良い居場所はずっと見付からないでいる。
実のところ最近のゲストハウスの実情は、数名のアルバイトスタッフによって効率よくシステム化された、談話室と共用キッチンのあるカプセルホテルのようなものが多く、宿泊客も外国人のバックパッカーが多い。
とてもじゃないけど落ち着くような場所とは言えないことも時々ある。
それでもぼくは、綺麗な個室で自分の動作音が何倍にも聞こえるビジネスホテルより、宿泊客の話し声が聞こえて、夜中にはいびきが響くゲストハウスに、この先も泊まり続けるように思う。
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